阪神淡路大震災 その2

いつもの倍くらいでしょうか?一時間半くらいかかって実家の近くに着きました。

あれ?ここはどうもないなあ。って思って歩いているとうちの手前のアパートが、無くて倒れた柱に小さい炎がチラチラと燃えていました。

うわぁ、燃えてしもたんや。大丈夫やったんかなぁ。

びびっていると、実家(アパート)もペシャンコになっていて、うわぁマイッタ❗

すぐ近くの公園に行くとたき火をしていて同じアパートのおっちゃんが、「林さんとこの子か?」

僕が、「はい、そうです」

おっちゃんが、「中学に避難してるから、行ってき」

僕が、「ありがとう」

夜中の2時くらいだったのでみんな寝ていてどこにいるか、さっぱり分からないので朝まで待つか、と思いうつらうつらしながら、待っていました。

朝になると、どこに居るんやろうか?とうろうろしていると両親と妹を発見❗

良かったよ、生きとったよ❗

妹が、地震の後に家から脱出するときに顔をこすったみたいで顔が擦り傷だらけになってましたけど、ケガはそれくらいでした。

一段落して、電話しようと思ったら、中学の校庭に無料の公衆電話が有りました。

あぁ、ありがたい(今みたいに携帯電話なんて一般的ではありません)

会社と彼女(今の奥さん)に電話して、無事に着いたこと、家族が無事だったことを報告しました。

それから、近所がどうなってるのか?うろうろして買えるものあるんかな?って市場にも行きましたが、売り物もそのときには有りませんでしたね。

その夜も避難所に泊めてもらっておにぎりもらって食べてました。

翌日にふと我にかえって、ここで差し入れ食べてたら、迷惑なだけやん❗仕事も何日も放置したら、大変なことになるやん❗

父親に「悪いけど自転車くれへんか?来るときはタクシーで来たけど、ここにはタクシー居れへんから、大阪まで自転車で行くわ。要らん自転車ちょうだい。」

父親が、「一台あるから乗っていけ」

「ありがとう」

それから、神戸市兵庫区から大阪に向かって、自転車をこぎましたが、地震のせいで道が悪いところがいっぱいあります。

パンクしないように気を付けて石とか段差とか出来るだけ避けて走っていましたが二時間走ったくらいで両方ともパンクしてしまいました。古い自転車だったし、もう限界だったのでしょうね。

パンクしてしまったので、押してみたり、歩いてみたり、そのままパンクしたまま乗ってみたり、いろいろ試してみた結果でパンクしてても、そのまま乗るのが一番早いことが分かりましたので必死でこいでいましたら、西宮北口駅から大阪まで電車が動いてると聞こえてきましたので西宮北口駅から電車に乗って帰ることにしました。

西宮北口駅の駅前に自転車を乗り捨て(ごめんなさい)、駅に行き、トイレに入ると水が使えなかったようで大便器が山盛りになっていました。

その後は、普通に電車を乗り継いで神奈川県に帰りました。

その後に彼女(今の奥さん)から、もう戻ってこないかと思った。って言われました。

僕は、二人兄妹ですが、二人ともこの地震の年平成7年に結婚しました。