阪神淡路大震災
神戸の地震は、もう24年前になるんですね。
その頃、僕は神奈川県の大和市に住んでいました。両親と妹は、神戸に住んでました。
地震の朝の6時半くらいでしょうか?神戸に住んでる高校の同級生から、電話がありました。神戸で地震があって大変なことになってるから、テレビつけて見て、親に電話して、って言われました。
テレビでは、上沢通がボウボウ燃えてる画像が流れてるし、神戸で地震なんか今まで無かったやん❗と思いながら、実家に電話しても、全くつながらないし、どうなってんねや❗と思いながら、会社に行きました。
会社に行って、会議室のテレビをつけっぱなしにして、ちょこちょこ実家に電話してましたが、相変わらずつながりません。
うわっ、これは連絡もないし、電話もつながらないし、死んだ?死んでる?って思い出して、こりゃ神戸に行くしかないわ❗
上司に「神戸に帰ってきます❗」って宣言し、夕方でしたがまだ仕事中に帰ってしまいました。(今から考えると迷惑な部下ですね)
家に帰り、セーターをバッグに詰めて、幾ばくかの金を握り、電車に乗りました。
電車を乗り継ぎ、新横浜から新幹線に乗り、神戸まで行けるんかな?って少しの不安はありましたが、どうにかなるやろ。
乗ってすぐの社内放送では、名古屋止まりです。って言っていたのですが、名古屋が近づいてきたところで、京都まで行くと!京都止まりです。に変わったのでヨシ❗良かった❗
京都に着くとやっぱりその先には行ってくれませんでした。
京都から京阪電鉄に乗って大阪に向かいます。
大阪に向かってる車内から、外を見ても普段と何も変わらない景色が見えます。
ホンマに地震なんかあったん??
もしかして、無駄な電車代使ってる?
少し違う意味の不安に襲われました。
地震らしい景色を見ることなく、大阪に到着しました。
大阪から、神戸に向かう電車が全く無くて、ホンマに地震なんや。
電車が無いので神戸に行けません。
「どないしよ?」
朝まで待っても、変わらないだろう❗
歩いてもたどり着けないだろう
タクシー乗り場に行き、「神戸まで連れていってもらえませんか?」
タクシーの運転手さんは、「いいけど、いくらかかるか?何時間かかるか?分からへんよ」
僕は、「それでいいです。お願いします」
タクシーに乗せてもらって、走ってるとラジオから亡くなった方の名前を読み上げています。うちの家族の名前が有ったらどうしよう?とドキドキしていたら、阪神高速道路が倒れている横を通過して、テレビで見た通りや❗とビックリ❗
また、凄まじい渋滞しているところが有り、心の中で運転手さんに申し訳ないと思いました。
道路が隆起して30センチくらいの段差があるところもあって、まともに進めない状況でした。